これまでの取り組みを御紹介するために、2012年11月から6年間続けてきたHP兼ブログの中から、
1、きっかけは○○ (2013年3月13日のブログより)
2 、今日は12月13日 (2013)年12月13日のブログより)
3、 暗中模索・五里霧中 (2016年12月13日のブログより)
4、2013年 岐阜県発明くふう展(10月25日~28日)説明文
を掲載します。
2013年3月13日のブログより
すっかり春らしくなって、新生活準備のシーズンです。
商品開発にも特許にも無縁だった私が、「自動炊飯モード付電子レンジの特許をとって商品化したい」と思ったきっかけは、7年前(平成18)年・2006年)の新生活準備のこの季節、息子の大学進学でした。
ホントに、何を始めたやら、でしたが、不思議と諦めもせず前進しています。
たぶん、自動炊飯モード付電子レンジは、できます。
息子に一人暮らしをさせるのに、「どうやって御飯を炊かせよう?」。
2月生まれの男の子。
頭脳だけが突出した、あとは全てのんびりな子を、数学ひとつを頼りに京都へ送り出す。
~今、思い出しても涙が出てくるほど、心配な日々でした。
洗濯は洗濯機がやってくれる。でも、御飯は?
おかずはどこかで買ってくるとしても、どうやって御飯を炊かせるの?
電気炊飯器を買ったところで、どうせ、御飯を余らせてカリカリにするのが関の山だろう、と。
年末頃から、テレビや新聞に「電子レンジで御飯が炊ける茶碗」というのが紹介されていて、それを買おうと思っていました。ところが、どこのお店を探しても見つかりませんでした。
ネットでは買えたようですが、まだ、あの頃は、今ほどネットで買うことは一般的ではなかったし、ちゃんと商品を見て買いたかったので、探し回っていました。
結局は見つからなくて、引越しには、パック御飯をいくつか買って、その後も、プラスチック製のを買って持って行って、‥何故か、かたくなに、電気炊飯器を買おうとは思わなくて、探し回っていました。
そうこうしているうちに、耐熱ガラスのボールにプラスチックの赤い蓋がついた商品を見つけて、「これで炊けるのなら土鍋のほうがおいしいに決まっている。」と思って、一人用の土鍋を買いました。
出力を切り替えて何回か炊いてみて、「これなら電気炊飯器を買わなくても御飯が炊ける」と思って、ゴールデンウィークに帰ってきた息子に炊き方を教えて、土鍋を渡して、自宅でも、男の子が一人いなくなると御飯を炊く量がぐんと減って、ガス炊飯器で炊くよりも、土鍋で電子レンジで炊いたほうが良くなりました。
出力をを切り替えて炊くので、夫が御飯を食べるたびに、「こんな電子レンジがあれば、売れる。」と。
‥‥まぁ、これがきっかけです。
7年前のことです。
後で知ったことですが、特許第3110007号が無効審判となって、電子レンジで御飯を炊くための蓋を二重にした陶器製の茶碗を、誰でも作ってよくなったのが平成17年、息子が大学へ入る前年でした。
その後の道のりも、機会を見つけて、少しづつ書きます。
全く、何を始めてしまったやら、と思います。
でも、自動炊飯モード付電子レンジ、作れそうです。
とりあえず、ふきこぼれを解決した炊飯土鍋ができました。
7年前、何回世話を焼いても引越しの準備を全然しなかった息子は、去年、就職で下宿を引き払って浜松へ引越しをするときには、ちゃんと一人で全部やりました。
成長が遅い、というか、アンバランスに発達する子もいます。
なごみおばさんは、他のお母さんよりも少し遅く子離れをして、おかげさまで、商品開発をして日々奮闘をしています。
上の子も、さっさとやれるタイプではなかったので、コテコテの子育てをやっていました。「親にしてもらった」というやつです。
画像は、二重蓋の電子レンジ用茶碗「炊きたて一膳」と、村上祥子さんの「レンジでごはん」です。
2013年12月13日のブログより
今年は、「13日の金曜日」になってしまいました。
12月13日は、和(なごみ)企画にとって、特別な日です。
特許「自動炊飯モード付電子レンジ」の出願日。
特許権は、出願日から20年間(ただし、年金を収めて続けていれば、ですが)。
ですから、7年前(平成18年・2006年)の今日、出願した特許は、あと13年、権利があります。
7年前の12月13日は大安だったので、その日に出願しました。
そして、1年前、「電子レンジ用炊飯土鍋なごみ」の販売開始日も、12月13日。
本当は、もう少し早い予定だったけれど、思うように準備ができなくて、大安の日を選んだら12月13日でした。
だから、12月13日は、和(なごみ)企画にとって、特別な日です。
特許をとって電子レンジを商品化する、などという事は私にとって荒唐無稽な話でした。
ゴールデンウイーク後、自宅でも土鍋で電子レンジでご飯を炊くことが多くなって、とても便利で、「どうやったら、こんな電子レンジが作れるのだろう?」と、思った頃、新聞の広告で、大垣のスイトピアでのプログラミングの無料講習のが入っていて、「こういうところへ行って、プログラミングを勉強すればいいのだろうか?…違うだろうな」などと思っていました。
「なるべく考えないようにしよう。」…精神衛生上悪い。
そうこうしているうちに、夏休みになって息子が帰って来て、ご飯を炊く量が多くなったので、ガス炊飯器で炊いているうちに、 考えなくなって、…。
10月になって、息子が京都へ帰ってから、また。電子レンジで炊き始めました。
「やっぱり便利。」
新聞で知財セミナーの記事を見つけて、問い合わせたら、
「特許を取ることですよ。」「発明協会の電話番号を教えましょうか?」
問い合わせたのは春日井市役所の産業課で、勝川でのセミナーの記事。
10月中旬に、夫が平日休みが取れたので、「話を聞いてみよう」と、二人で名古屋の発明協会へ行って、無料相談で弁理士さんに相談。
熱心に聞いていたのは夫。私は隣で聞いていただけ。
70万円ぐらいかかる、ということと、70万円かけても特許は取れるかどうかわからない、ということ。
帰りの車の中で、夫は、「ダメでもいいから70万円かけてみたい」
「ライト兄弟でも、特許を取ってからが大変だったらしいよ。」と私。(大体、そんなお金、どこにあるの?子供が二人とも大学生なのに…。)
ネットで、発明協会岐阜県支部で「出願の指導」というのがあって、電車を乗り継いで伏見まで行くよりも、車で30分程度なので、そちらを訪ねて相談。
情報アドバイザーさんに相談したら、「それでは特許は取れないだろう。」
ところが、話をしているうちに、
「本当にそんな簡単な出力の切り替えで炊けるの?」
「炊けます。……どうして?」
「単身赴任で来ているから、少し御飯が足りない時に便利だと思って。」
米と水の量、電子レンジでの切り替えを説明して、「やってみてください。」
2回目に相談に行った時に、「うまく炊けた。便利だ。」と。
「土鍋で炊いたら、こんな簡単な制御でうまく炊けるのに、そんな電子レンジが無いなんて、きっと何かあるのだろう。」と私。
あきらめない私に、情報アドバイザーさんは呆れ半分で、
「何か役に立つことがあるかもしれないから、出すだけ出してみますか?」
自分で書いて出すことにして、情報アドバイザーさんに、たくさ~ん助言をいただいて、何回も書き直して、出すだけ出したのが、7年前の12月13日。
特許の「と」の字も知らなかったのに、「無謀」と言うしかないですね。
…あの頃の私は、何かに取りつかれたかのように、前に進んでいました。
ところが、そんな頃、15年間一緒に暮らしたタマの具合いが悪くなって、
「特許なんて、モノになるのかどうかもわからない、こんな事をやっているよりも、タマの介護をしてやりたい。」
タマの具合は日に日に悪くなって、手がかかるようになって、特許の文書を作る時間を確保するのも大変なほどになっていました。
そして、発明教会岐阜県支部へ行って出願を終えて帰宅して30分後、タマは息を引き取りました。
「おかあさん、もういい。」と、一声鳴いて。
「いったい私は何をしていたんだろう?」と。後悔して、泣いて泣いて…。
ニャン太をもらってくるまでの半年間、泣き暮らしていました。
(何を大袈裟な?と思われるでしょうが、ペット・ロスを経験した人は、みんな共感。)
12月13日。
あの日から、もう、7年も経ってしまいました。
自分でもわからないのですが、不思議とくじけもせず、と言うか、何回もくじけながら、前に前に、進んでいます。
写真
左は、在りし日のタマ(セピア加工)
右は、11月4日、京都から帰って来た息子に甘えるタマ
2016年12月13日のブログより
今日は12月13日。「自動炊飯モード付電子レンジ」の出願から10年経ちました。特許権は20年なのでちょうど真ん中。特許年金を払い続ければ、あと10年、権利があります。
「暗中模索・五里霧中」…四文字熟語を二つ重ねて、この10年を言葉で表すと、こうなります。
4年前、ブログを始めた頃でさえ、「ホント、何を始めたやら」という心境でしたが、今、「少量パックの無洗米と水を炊飯土鍋に入れてレンジのスイッチを押すと、御飯が炊きあがる。~御飯はもっと手軽に炊ける時代が来ます。」と言っても、10年前のような言葉が返って来ることはないと思います。
画像は、出願した直後(2006年12月13日)、流通アドバイザーから言われた言葉。
「創業塾2009」に参加して、翌年、試作機を作って「創業塾2010」でプレゼンさせてもらった時、ラストのスライドに使いました。うけました。
今わかったことは、結局、電子レンジでは御飯が上手く炊けていなかった、ということです。
振り返ってみると、よくここまで来れたものだと思います。
ちゃんと少しづつ前に進んで来ています。
10年前、岐阜県発明協会へ行ったら、「情報アドバイザーと出願アドバイザーと流通アドバイザーがいますが、誰に相談しますか?」。
「どのアドバイザーに相談すればいいかをアドバイスするのがアドバイザーアドバイザー」と言っていたら、流通アドバイザー―は流通コーディネーターに名称が変わりました。
創業塾も、個別相談があると書いてあったので期待していたのに、全体講義で予定通りトコロテンのように終わってしまって、、、熱気にあふれて素晴らしい出会いもあったけれども。
あちらこちらへ「相談に来てください」と言われて行くとは期待外れで、「特許庁と中小企業庁が、自分たちの所へ取ってきた予算を食い潰しているだけだ」と、いつも怒っていました。
炊飯土鍋をオリジナルで作ろうと思ったのは、試作機を作ってプレゼンをした後なので、6年前です。正直なところ、土鍋にもこれほどまでに問題があるとは思っていませんでした。形状や、炊飯量、気温、etc。市販の土鍋で、レンジの出力の制御だけで美味しく炊けると思っていました。
結局、電子レンジの出力をどう制御したらいいのかも、土鍋の形状をどうしたらいいのかも、わかっていなかったって事のようです。
とりあえず、土鍋の形状は私が解決しました。
何とか、炊飯土鍋を商品化して、「さて、これをどう売ればいいか?」
ファニチャードームさんやメルシーさんにもお世話になったし、パレットブルーやかわしま屋さん、、、
ネットで売るにしてもブログさえもやっていないし、と、まず、手始めにICCのeasy my webでやってみてから、と、そのまま4年が経ちました。
ネットで発信したことが、色々な形で反響になって、「無洗米 10種類のお米 詰め合わせ」や「無洗米使い切りパック」もそうだし、最近、炊飯器メーカーが「おどり炊き」や「かまど」と売り込んでいるけれども、十分な容積で吹きこぼれるぐらいの火力で炊いた御飯が美味しいことや、お釜ではなく釜戸の保温性に美味しさの秘訣がある事もそうです。
「メーカーは相手にしてくれんよ」なんて言ったのは誰?
公的なところで偉そうにして否定的なことばかり言ってる人たちに相談したところで、良い商品は生まれません。
10年間続けてきたのではなく、進み方は遅いけれども、一つ一つ、前に進むのでやめられなかった、というのが本当の所だと思います。
今年の初め、お客様から届いたメールで、炊飯ボタンが付いた電子レンジが13年前に発売されていたことを知って驚きました。
去年、クックパッドに公式キッチンを開設させていただいて、今年は「ふるさと納税」の記念品にしてもらえて、また、少し、新しい形で進み始めています。
木曾川商工会にも色々お世話になれて助かっています。
10年前、出願した頃より、一人暮らし世帯の増加も、コメ離れも、これ程までに進むとは思ってもいませんでした。
簡単に少量の御飯が美味しく炊ける電子レンジがあったらいいですよね。
私の発想が、10年以上も早かったってことでしょうか?
炊飯実験だって系統的にやりたいし、営業活動もしたいけれども、自分の取り巻く環境でしか動けなくて、歯がゆいけれども、それでも、ここまでやれてきました。
今日は12月13日。10年前も、冷たい雨が降っていました。